「集草流」を創流し、日本橋・高島屋の美術部画廊の花を活けることを業としながら、
版画家、故・棟方 志功 画伯を始め、多くの芸術家との交流を通して、幼少の頃からの夢
であった画家への道を30代半ばから歩むことになる。
美人画の巨匠、故・小早川 清 画伯の水墨画などの作風に感動し、日本画の師事をする。
また、版画創作にも意欲的に取り組み、40代初頭には日本板画院へ出品していた。
画家としては、「日本表現派」を経て、50代半ばに「創作画人協会」創立に参加し、
田中 路人、木間 明 両先生の御指導の元、多くの会友との出会いや親交を通して、変貌する
以前の那須野が原を作品のモチーフをして創作活動に邁進した。
「我は山なり、山は我なり、山と我は一体である」
四季折々、故郷の自然との対話を基調とする、新井 豊独自の自由な表現法を確立し、
晩年には、水墨画や心の心象を描き、曼陀羅のような「夢想」の世界へと到達した。
作品を通して、故・新井 豊との夢想のひとときを共感ください。
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